神社で願い事をした時に考えた行動基準について。誰のために願う??

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こんにちは
シンディーです。
あなたは神社などで神様にお願い事をしますか?

今日は行動するときの基準について考える出来事がありました。

行動基準というのは「誰のため」をいつも考えるのか?ということです。

自分のため、家族のため、恋人のため、友人のためなど誰のためを考えて行動をするかを考えることはとても重要なことだと私は思います。

例えば、あなたは神社でお参りをした時、どんな願い事をしますか?

「受験合格しますように」
「仕事で上手くいきますように」
「恋人と出会えますように」

こういった願い事をする人は多いのではないでしょうか。
私もこういった願いはよくしています。

神様への願い事の仕方については色々話を聞きますが、どれが本当かどうかはわかりません

・お賽銭は投げてはいけない
・お願いをしてはいけない
・お賽銭は手を洗うとこで洗って清める

私は毎回「自分はこうなります。応援宜しくお願いします。」という感じでお参りをします。
それも合っているかはわかりません・・・。

ただ今日は「願いごとは自分のことを言っても叶わない。他の誰かのことを願う」ということを聞きました。

それが正しいのかどうかは置いといて、自分はいつも自分の事だけを願っていた、考えていたと気付かされました。
自分のためを願ってはいけないとは思いませんが、何かをするときに自分のことだけばかりを基準にするのは社会的に成功などしないと私は考えています。

神様へのお願いだけではなく、仕事でもプライベートでも、

「自分が稼ぐため」
「自分の商品を売るため」
「お金持ちになって遊ぶため」
「自分を認めてもらうため」

など自分本位に考えてしまうことは多いと思います。

よくビジネス書に書いてあったりするのは
商品の営業をするときに「この商品良いよ、買って買って」と言ってお客さんは買わない。もちろん買う人もいるかもしれませんが、お客さんにとって何がメリットがあるかが示せないと買うまでの行動に移りにくい。お客さんは買って損はしたくないし、自分にどう利益をもたらすかはとても重要です。
私は仕事をしていてもそれを感じます。

きっとあなたは何かを買うときに

「これ買ったら自分の健康にどう影響するのか?」
「これ買ったらどのくらい自分の手間を減らすことができるのか?」

など自分基準に考えないでしょうか?それはお客さんも同じだと思います。なのでお客さんにとっての利益を示せないとなかなか売れないでしょう。

人生の目的も単純に自分がお金持ちになりたいからだけで仕事をする人もいると思います。ですが、やはり社会的に認められるものは「誰かのため」が明確に伝わるものが評価され、広がると思います。

意外と「誰かのため」と最初に決めたのに、いつの間にか「自分のため」を基準に行動していることに気づきます。定期的にこれは「誰のため」にやるのか?と問いかけてみるも、今後どうするかを決める助けになると思います。

あなたは普段誰のために行動しますか?

読んでいただきありがとうございました。

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